TETUSIN DESIGN REUSE OFFICE 九州大学箱崎キャンパス跡地 旧・松浜厚生施設の部材を活用した選択的移築と再構築

九州大学キャンパス跡地と経緯

1911 年(明治44年)に九州大学の前身である九州帝国大学が今の福岡市東区箱崎に設立。約100年のあいだ、学問の地として日本の近代化を支えた人材を輩出してきました。2019年(平成30年度)、九州大学は、福岡市西区の伊都キャンパスへと移転が決定し、約43 ヘクタール(東京ドーム約9個分)の巨大な大学キャンパス跡地が生まれました。時代を象徴する近代建築群、3400本以上の豊かな樹木、そして日本を代表する知の歴史がありましたが、当初の計画により、一部の区域以外は全て解体・更地化が決定。現在は、旧工学部本館、本部庁舎、正門周辺と一部の樹木を残して、解体されています。

箱崎キャンパスにあった歴史的建造物群

 

キャンパス解体

約100年間積み重ねられてきた九州大学の歴史や近代建築、豊かな樹木が更地化されていく様子。子どもの保育園の送り迎えの中、毎日目にする様子は、経済という大きな波に文化という小さな島が飲み込まれていくようでした。日本の実業家で慈善活動家でもある、ベネッセホールディンクス名誉顧問の福武 總一郎氏は、「経済は文化の僕(しもべ)である」とよくいわれています。これから環境やエネルギー問題など人類には課題が山積しています。作っては壊す20世紀の消費型開発ではない、21世紀の循環型開発が求められています。

跡地の経緯はこちら>九大跡地ファン倶楽部 http://love-kyudai.jp/

松浜厚生施設(旧学生食堂)

1928年築。キャンパス移転に伴って2019年解体。下見板張り(板の下端がその下の板の上端に少し重なるように張ること)を使用した、いわゆる下見板コロニアルスタイル(アメリカから北海道開拓期にもたらされ、北海道の現風景の建物に見られる)の洋風木造建築として学内でも貴重な存在でした。当初の学生寮から数度用途を変えながら、最後は大学生協の事務局として使用され、現役施設として90年間活躍した風格を感じさせます。建物は一般市道に位置しているため、街の風景として地域住民によく知られていました。

建物の説明はこちら>旧・松浜厚生施設

選択的移築と再構築

解体予定の建物の中で唯一残っていた建物である松浜更生施設を九州大学のご好意により譲り受けることになりました。限られた時間と条件の中で 何を選択して移築し、どのコンテクストで再構築するのか部材の選定を行いました。 構造部分には一切手をつけず、象徴的なファサードと室内の建具を生け捕りすることを目的に計画しました。 歴史的建築物の役割の1つは、街のランドスケープの一部として、人々の記憶のスイッチになることだと思います。建物が取り壊されると、その場所に何があったのかと思い出せなくなるように、人々から九大の記憶がなくなっていくことは避けたい。そこで街の景色の一部となっている外観の象徴的なファサードを再構築することを最優先に検討しました。しかし、確保した部材が老朽化しているために全てを使用することができませんでした。 そこで鉄骨フレームのまま建物の面影だけを残して建築ボリュームを「虚」と「実」の2つによって再構築すること。 一度、世の中から否定された建物が新材を使って依然と同じ形になるよりも十分に意味があると感じました。この「虚」の部分が建築的意味を持つことができます。

福岡・筥崎宮参道に面して建ち、1Fをオフィス、2Fを住空間とした職住一体の建物。1928年竣工の洋館建築・九州大学松浜厚生施設の歴史的要素を引き継ぐ。いわゆる文化財保存のように厳密な修理を行うのではなく、歴史的要素(historical elements)の再配置によって選択的移築を行い、その要素のもつ歴史的価値や元のコンテクストを新たな建築とつなぎ合わせた。歴史的建造物のファサードによる〈都市的記憶〉その〈実〉としての歴史的建造物のボリュームを再解釈した〈虚〉としての鉄骨フレームによってマッスとヴォイドの対比的な構成としている。建具と空間構成の再解釈による〈空間的記憶〉古い建具配置と気積のボリュームによる階段室や廊下空間を継承している。今後、〈虚〉として生まれたオープンスペースを活用し、地域に開かれた場、実装・実験の場として、街と新たに接続させる。

設計:yHa architects 構造設計:yAt構造設計事務所  施工:イクスワークス 部材保存:九銘協 膜構造:山口産業 外構:浦田庭園設計事務所 照明:モデュレックス 記録映像:仁田原力 企画協力:九州大学、ハコと場をつくるSAITO 解体協力: 環境開発、セイシン、MIYATA ART CONSTRUCTION